ヨガ・仏教のすすめ[札幌]

札幌ヨガ・仏教の紹介です。札幌でヨガの先生をしているOKAのブログです。

第二十九話 五蘊無我その2

さて五蘊の説明もあと、経験と識別の残り2つになりました。

 

 

経験。

私達は過去に色んな経験をしています。経験をしている、経験の集積が自分なんだと思う人がいるかもしれません。

いついつどこどこで旅行に言ったのが自分。何々小学校に通ったのが自分。どこそこ会社に勤めているのが自分。

 

 

さてこれはさすがに自分だろう、経験はどう考えても自分だろうと思う人が多いと思います。

これを解説するのは難しい所ですが、多重人格者の例を上げましょう。

 

多重人格者は人格が変わると学んでいない言語を学んだり、自体が変わったり、力や性別も変わります。好きな食べ物も変わります。

私が以前付き合っていた恋人が多重人格者だったのでよくわかります。

 

多重人格者の中には糖尿病なのに人格が変わると糖尿病の症状がでなくなってしまうこともあるそうです。

 

ということは、今自分が信じている経験というのも幻影で死んだらまた別の生、経験が待っていることになります。経験も無常なのです。つまり経験も自分ではありません。

 

 

最後、識別ですね。

 

識別とは判断とか心の働きのことを指します。

判断しているのが自分なんだ、この様に思っているのが自分なんだと普通の人は思います。

 

よく、宗教で説かれている事というのはいちばん大事なのは心の働きなんだと。

心を綺麗にすれば良いんだと。

 

しかし、仏教では心の働きすら超える教えが説かれています。

心は無常です。必ず変化します。

 

どんなに心がきれいな人でも、汚れるかもしれないし、精神病になるかもしれません。

どんなに心が汚い人でも綺麗になるかもしれません。

 

 

なので心を超えた真我(アートマン)、本当の自分に至る教え、それが仏教です。

 

では真我、アートマンはどこにあるかというと五蘊を超えた所にあるわけです。

三界、つまり現象界(欲六界)、アストラル(色界)、コーザル(無色界)を超えた先にあります。

 

ではどのように超えていくかというと五蘊の要素を捨断していくわけです。

五蘊、肉体、感覚、イメージ、経験、識別のとらわれを捨断していきます。

 

 

五蘊を捨断すると、とらわれがなくなりありのままに見ることができ真我独尊の境地に至ることができるのです。

 

五蘊の捨断については難しい話しになるとおもうのでこの話では簡単に説明して割愛させていただきます。

 

最後に。四念処の記事を読んだ方は五蘊と四念処そっくりだとお気づきになった方がいるかもしれません。

 

お気づきの方は直感力が鋭いですね。

 

 

四念処は肉体、感覚、観念、心を指します。

 

四念処も五蘊も同じ自分自身を構成するものを指しているということが言えますが、分類方法が違うわけですね。

 

例えば丸いケーキがあって4つに切ることも出来るし、5つに切ることもできます。

4つに切ったのが四念処で、5つに切ったのが五蘊です。

 

でもどちらもケーキを指していることと同じように、四念処も五蘊も同じことを言っているということが出来ます。

(もっと詳しく知りたい人はこちらへ→こちら

 

四念処と五蘊の話を締めくくりとして

それでは今日の話はここでおわりましょう。