ヨガ・仏教のすすめ[札幌]

札幌ヨガ・仏教の紹介です。札幌でヨガの先生をしているOKAのブログです。

第二十八話 五蘊無我

仏教五蘊という言葉があります。

今日は五蘊について説明しましょう。

 

五蘊は漢訳なので難しい言葉のように感じますが、現代語に直すと

5つの集まりの集積と言うことが出来ます。

 

では5つの集まりの集積とは何かというと、私達のことです。

 

私たちは5つの集まりの集積、五蘊によって形成されています。

 

五蘊とは、色、受、相、行、識です。

 

これも漢訳なのでさっぱりわからないですね。

日本のお坊さんや、学者は漢訳を元に五蘊について考えているので恐らく五蘊の本質を理解している人はいないでしょう。いや、世界を見渡してもいないでしょう。

 

ということで世界発、五蘊の説明です。

 

 

色=肉体

 

受=感覚

 

相=イメージ

 

行=経験

 

識=識別

 

 

です。

ん?なんでこんな簡単なことが世界初なんだと思われたかもしれません。

そうなんです。

 

こんな簡単なことなのに、インドのサンスクリット語が中国語になって日本語になり伝わったのでわけが分からなく本質を見失ってしまうのです。

 

だから、日本のお坊さんがわけの分からない漢訳のお経を読んでいますが、意味がわからないので全く無駄、無意味ということができます。

 

 

話は戻りますが、私達は肉体、感覚、イメージ、経験、識別の集まりで形成されています。

 

五蘊無我というのは、私たちの本質は五蘊ではなく五蘊を超えた所にあるということを主張しています。

 

では一個づつ見ていきましょう。

 

肉体は自分でしょうか?

肉体は、2年経つと心臓以外ほとんどの細胞が入れ替わると言われています。つまり二年前の自分と今の自分は肉体的には物質的には全く別ということが出来ます。

 

例えば腕や足を切り刻まれたとしましょう。

腕や足が無くなったとしても自分は自分ですよね。

よって肉体は自分ではありません。

 

 

次に感覚を見ていきましょう。

目に見えるもの、臭っているもの、聞いているもの自身が自分なんだと思われている、感覚自体が自分だと思っている人がいるかもしれません。

 

では目が見えなくなったら、臭わなくても耳が聞こえなくなったら自分でなくなってしまうのでしょうか?

 

もちろん、感覚がなくなっても自分は自分ですよね。

目が見えなくなった途端別人になる人はいないと思いますし、麻酔を打って感覚が無くなった瞬間別人になる人はいないと思います。

 

 

次、イメージ。

頭でイメージしているのが自分なのか。これは自分でないことを証明するのは少しむずかしいですね。

 

イメージで分かりやすい例として夢を出しましょう。夢で見ているイメージは普段全然違う話だったりします。(夢は今の人生と過去の人生が混ざったイメージなのでわけがわからない話が繰り広げられると言われています。)

 

夢では空を飛べたり、自分の性別が違ったり、白黒の世界だったりするかもしれません。

でも夢を見ている自分も起きている間の自分も自分は自分です。

 

 

それにイメージは無常です。変化するということです。

 

 

子供の頃からずっとサッカー選手になりたいとか、芸能人になりたいとか色んなイメージを持つかもしれませんがいつかは変化しますよね。

また、一生同じイメージを持ち続けたとしても死を境に無くしてしまいます。

 

よってイメージは自分ではないということができます。

(もっと詳しく知りたい人はこちらへ→こちら

 

あと残り2つですね。

経験と識別については次回お話しましょう。