ヨガ・仏教のすすめ[札幌]

札幌ヨガ・仏教の紹介です。札幌でヨガの先生をしているOKAのブログです。

第二十七話 正しい瞑想とは

前回のお話で武術と仏教の関係について説明しました。

その中に達磨大師が中国に伝えた教えとして正しい瞑想の仕方があります。

今回は正しい瞑想についてもう少し詳しく説明しましょう。

 

 

一般的に、禅というと座って目を瞑るイメージがあります。

さて、これが正しい瞑想なのでしょうか?

 

 

ただ座って目を瞑っても、やってみたらわかると思うのですが、浮いてくる情報は日々の生活の情報ばかりということがわかります。

 

 

例えば、私なんかは昔多くの性欲の情報をひたすら入れていたので目を瞑ると性欲に関する情報が沢山浮いてきます。

 

同じように例えば漫画が好きな人は沢山漫画を読んでいるので座って目を瞑ったら漫画の情報が出てきますし、ゲームを一日中やっている人はゲームの情報が出てくることかと思います。

 

記憶した情報しか自分から出てこないという科学的に考えると当たり前の話しなのですが、当たり前のことを忘れがちです。

(知らない情報が出てきたとしても前生で必ず経験している情報です。)

 

 

なので正しい瞑想をするためには先に仏教のデータ、正しい真理のデータを入れた後に、座って目を瞑らなければなりません。

しっかり、功徳を積んで、戒律を守って煩悩を破壊した状態で座れば体験するのは光であり、それを仏教では空と言います。

 

 

禅では無の境地を最高のものとしていますが、真の仏教では無の境地というのは高い境地ではなく途上の修行者が経験する段階です。

 

徳が無く、光が弱い状態で自分の深い意識に入れば当然自分の内側は真っ暗闇なので、深い意識状態にはいる集中力はあるけど徳がない状態ということが出来ます。

 

 

なので体験すべきは、無の境地ではなく空の境地なのですね。

 

 

 

話は戻りますが、カルマの悪い状態で座っても意味が無いので仏教の基本は功徳、戒律なのですね。

 

ですので、お釈迦様自体は入門した出家僧は直ぐに瞑想をすることを実は禁じています。

これに関しては正確に言うと、北伝仏教(インドからチベット中国と伝わった仏教)と、南伝仏教(インドからスリランカ、東南アジアに伝わった仏教)では瞑想に入るタイミングがちょっと違うのですが、話が長くなるので今回は割愛します。

 

 

まず僧は徹底的に奉仕をして功徳を積んで戒律を与えられ守り、お釈迦様の教えを学び、土台が固まったら托鉢にいって一般人に仏教を説き功徳をさらに積みます。

 

 

これらのプロセスでカルマを浄化し、座った段階でサマディに入れる状態になって始めて瞑想に入るわけです。

 

六波羅蜜でも

 

 

布施(功徳を積む)

→持戒(悪いカルマを積まない)

→忍辱(悪いカルマを落とす)

→精進(更に良いカルマを積んで悪いカルマを積極的に落としていくプロセス)

→禅定(瞑想してサマディにはいる)

→智慧(光、空体験)

 

 

という順番になるわけですね。

座って無の境地、つまりなにも無かったら仏教を実践する意味がないですよね。

(もっと詳しく知りたい人はこちらへ→こちら

 

ということで瞑想は正しく瞑想しましょう。