ヨガ・仏教のすすめ[札幌]

札幌ヨガ・仏教の紹介です。札幌でヨガの先生をしているOKAのブログです。

第二十六話 武術と仏教 少林拳について

元々、武術は瞑想の土台の為のものだったということはご存知ですか?

日本では少林寺拳法が有名ですが、少林寺拳法の大元の武術、少林拳は元々、瞑想の土台を作るために体を鍛え、気を強めナーディーを通すためのものでした。

 

今日は少林拳の話です。

 

中国に少林拳を広めたのは禅の開祖達磨(ダルマ)大師です。

達磨大師は史実を調べるとお釈迦様の28代目の直系の弟子だと言われています。

 

 

時は5世紀後半、達磨大師はインドの王子で、王子の生活に満足出来ずにいました、

ある僧の説法に感銘を受けて出家して仏教を極め、僧の命を受け中国に渡り仏教を伝えたと言われています。

 

 

その当時、中国へ伝わっていた仏教は間違いが多く、達磨大師が正しい仏教を伝えるために中国へ行ったのです。

 

 

達磨大師の話として有名な話が、目を瞑っているだけで瞑想していると思いこんでいる中国の僧に、目を瞑るだけでは自分の煩悩が見えるだけで汚れを見ているに過ぎないと法を説いたエピソードがあります。

 

 

このブログでも、度々お伝えしていますが、仏教の教えは煩悩を破壊する教えなのですね。

ですので、煩悩を捨断のデータを入れない限り目を瞑っても内側は煩悩だらけ雑念だらけの情報を見るだけで意味がないということになります。

 

 

瞑想には生起過程の瞑想と、究竟の瞑想の二種類があります。

 

生起過程の瞑想は自分の内側に真理のデータを根付かせる瞑想で、究竟の瞑想は自分の内側に根付いたデータを見る瞑想です。

座って目を瞑る瞑想は、究竟の瞑想にあたるのですが、先に生起過程の瞑想(煩悩捨断のデータを入れずに)をせずに究竟の瞑想をしても見えるビジョンは自分の日常生活だけということになります。

 

 

つまり、

 

生起過程の瞑想 → 究竟の瞑想

 

 

の順で行なうのが正しい瞑想ということになります。

 

 

他にも、少林寺の近くの洞窟で瞑想して数年間飲まず食わずでサマディに入っていた話しや、達磨大師のを異端扱いした人たちが達磨大師を炎で燃やすのですが平気で生きているというエピソードがあります。

 

 

このことからも達磨大師はサマディを成就していたことがわかります。

 

 

それで達磨大師は、中国で仏教を展開しようとするのですが、弟子の体が弱く瞑想に適していなかったので、瞑想の土台を作るために少林拳を説いたと言われています。

 

ヨガでは瞑想に入る前にアーサナをすることをお伝えしたと思いますが、そのかわりに達磨大師は、中国人の武術で長く座れるように体を強固に柔軟にし、エネルギーを強め瞑想の準備をしたのですね。

(もっと詳しく知りたい人はこちらへ→こちら

 

ちなみに現在日本に伝わっている少林寺拳法は、日本人が中国の少林拳を学び改変して日本に伝えたものですね。

 

 

中国の武術と仏教の関係は理解頂けましたでしょうか。