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ヨガ・仏教のすすめ[札幌]

札幌ヨガ・仏教の紹介です。札幌でヨガの先生をしているOKAのブログです。

第二十五話 忍辱とは

六波羅蜜の一つ目布施によって良いカルマを積み、二つ目持戒によって悪いカルマを積まないという実践によって相対的に良いカルマが増えます。

 

ただ戒律を守っても過去に積んだ悪いカルマは消えません。

悪いカルマを落とす実践、それが忍辱になります。

 

忍辱に関する仏典があるのでご紹介します。

 

この話はお釈迦様の弟子のデーヴァダッタ前生の話しです。

 

 

デーヴァダッタはその生は王様でお釈迦様は修行者でした。

 

あるとき、王宮に現れた修行者は庭園で王様の付き人の女性たちに真理を説法していました。

 

修行者というのは元々王より偉大で功徳の持ち主ですから、女性たちは法則の虜になり説法に聞き入っていました。

 

それに嫉妬した王は部下に命令して、修行者を切り刻みダルマにして殺してしまいました。

それでも修行者は一切抵抗せずにニコッと笑って死んでいきました。

 

 

なぜ抵抗もしなかったかというと苦しみはカルマによって生じることを修行者はご存知だったからです。

 

ひたすらカルマ落としに耐える実践が忍辱ということになります。

これは自分のカルマにより苦しみが生じているので耐える。

 

例えば悪口を言われても言い返さずに耐える。これも忍辱になります。

 

 

 

もう一つ仏典の話しをしましょう。

お釈迦様の二大弟子の一人にマハーモッガラーナという弟子がいました。

マハーモッガラーナが死ぬ時は外道(真理でない教え)に頭を叩き割られて死んでいます。しかし、頭を叩き割られても一切苦痛が生じずに空中浮揚でお釈迦様の元に移動して亡くなられたというエピソードがあります。

 

 

実はマハーモッガラーナは2生前に同じカルマを積んでいるのです。

その生は、マハーモッガラーナは悪魔で、カクサンダー仏の弟子の頭を叩き割ったのです。次の生は地獄です。

 

そして、その次の生お釈迦様の弟子になって頭を叩き割ったときのカルマが返ってきたということになります。

 

 

どんなことが起きたとしてもカルマとしてとらえ耐える実践が忍辱なのです。

 

 

私も頭が叩き割られたり殺されたことはないですが、カルマが解放して罵声を浴びたり物を盗まれたり、あるいは蓮華座という座法を組んで激痛になったりするのですが、耐えているとカルマが落ちて苦しみが喜びに変わるんですね。

 

 

車に引かれてもカルマが落ちて良かったと喜んだヨガの先生がいたと言いましたがそこまで忍辱できると素晴らしいですね。

(もっと詳しく知りたい人はこちらへ→こちら

 

ぜひ布施、持戒、忍辱の実践により苦しみを滅尽しましょう。